このような当時の状況から、最盛期を過ぎていたローマ帝国の皇帝コンスタンティヌスが、313年にミラノ勅令で勢力を増していたキリスト教を公認し、325年にキリスト教会内で派閥紛争の的となっていた教義などについての対立を討議するため、小アジアのニカイア(ニケア)で会議を行いました(第1回ニカイア公会議)。
この時、よく知られるアタナシウス派が主張していた父と子を一体とする教理や復活祭(イースター)の日付の計算法が決まったのと一緒に、ローマ帝国内外での風習・宗教の対立や摩擦を避けてキリスト教を取り込む政略もあり、太陽にもなぞらえるキリストの降誕祭(クリスマス)の日が冬至の12月25日に決まりました。
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